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浅草の食・浅草広小路・屋台・夜店 - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日

更新日:2018年10月1日

 きのう書いた川崎銀行の角、際物師の店の横にめぞッこ鰻をさいて焼く小さな床見世があった。四十がらみの、相撲のようにふとった主人が、年頃の娘たちとわたしより一つ二つ下のいたずらな男の子とを相手に稼業をしていた。外にみるから気の強そうな、坊主頭の、その子供たちにおじいさんと呼ばれていた老人がいたが、そのうちどうした理由かそこを止し、広小路に、夜、矢っ張その主人が天ぷらの屋台を出すようになった。いい材料を惜しげもなく使うのと阿漕に高い勘定をとるのとでわずかなうちに仕出し、間もなく今度は、いまの「区役所横町」の徳の家という待合のあとを買って入った。――それがいまの「中清」のそも/\である。

 ついまだそれを昨日のようにしかわたしは思わないが、広小路のあの「天芳」だの仲見世の「天勇」だののなくなったいま、古いことにおいてもどこにももう負けないであろう店にそのうちがなった。が、そこには、その横町にはさらにまたそれよりも古い「蠣めし」がある――下総屋と舟和を、もし、「これからの浅草」の萌芽とすれば、「中清」だのそこだのは「いままでの浅草」の土中ふかくひそんだ根幹である……




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