浅草田圃 - 「幕末維新懐古談 名高かった店などの印象」 高村光雲 1929(昭和4)年1月
- 浅草文庫
- 2019年6月9日
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仲店の中間、左側が伝法院で、これは浅草寺の本坊である。庭がなかなか立派で、この構えを出ると、直ぐ裏は、もう田圃で、左側は田原町の後ろになっており、蛇骨湯という湯屋があった。井戸を掘った時大蛇の頭が出たとやらでこの名を附けたとか。有名な湯屋です。後ろの方はその頃新畑町といった所、それからまた田圃であった。
伝法院の庭を抜け、田圃の間の畔道を真直に行くと(右側の田圃が今の六区一帯に当る)、伝法院の西門に出る。その出口に江戸侠客の随一といわれた新門辰五郎がいました。右に折れた道が弘隆寺、清正公のある寺の通りです。それから一帯吉原田圃で、この方に太郎稲荷(この社は筑後柳川立花家の下屋敷内にある)の藪が見え、西は入谷田圃に続いて大鷲神社が見え、大音寺前の方へ、吉原堤に聯絡する。この辺が例のおはぐろどぶのあるところ……すべて、ばくばくたる水田で人家といってはありませんでした。

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