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浅草田圃 - 「蘭学事始」 菊池寛 1921(大正10)年

 刑場からの帰途、春泰と良円とは、一足遅れたため、良沢と玄適と淳庵、玄白の四人連であった。四人は同じ感激に浸っていた。それは、玄妙不思議なオランダの医術に対する賛嘆の心であった。

 刑場から六、七町の間、皆は黙々として銘々自分自身の感激に浸っていたが、浅草田圃に差しかかると、淳庵が感に堪えたようにいった。 「今日の実験、ただただ驚き入るのほかはないことでござる。かほどのことを、これまで心づかずに打ち過したかと思えば、この上もなき恥辱に存ずる。われわれ医をもって主君主君に仕えるものが、その術の基本とも申すべき人体の真形をも心得ず、今日まで一日一日とその業を務め申したかと思えば、面目もないことでござる。何とぞ、今日の実験に基づき、おおよそにも身体の真理をわきまえて医をいたせば、医をもって天地間に身を立つる申しわけにもなることでござる」  良沢も玄白も玄適も、淳庵の述懐に同感せずにはおられなかった。




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浅草田圃・長國寺・鷲神社・浅草酉の市 - 「残されたる江戸」 柴田流星 1911(明治44)年5月

酉の市は取りの市、掃き米はき込めの慾の皮がつッ張った連中の、年々の福を祝うてウンと金が儲かるようと、それさに肩摩轂撃、押すなおすなの雑沓を現ずるのだが、何がさて、大慾は無慾に近く、とりにゆくのはとられにゆくので、鷲神社には初穂をとられ、熊手屋には見すみす高いものを負けろとあって

浅草田圃・奥山・見世物 - 「鴎外の思い出」 小金井喜美子 1955(昭和30)年10月

見世物小屋のある方へ行って、招牌を見て歩きます。竹の梯子に抜身の刀を幾段も横に渡したのに、綺麗な娘の上るのや、水芸でしょう、上下を著た人が、拍子木でそこらを打つと、どこからでも水の高く上るのがあります。犬や猿の芸をするのもあったようです。尤も一々這入ったのではありません。中の見

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