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浅草絵・浅草人形 - 「淡島椿岳 --過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド--」 内田魯庵 1916(大正5)年3月

  • 執筆者の写真: 浅草文庫
    浅草文庫
  • 2018年9月24日
  • 読了時間: 1分

 椿岳のいわゆる浅草絵というは淡島堂のお堂守をしていた頃の徒然のすさびで、大津絵風の泥画である。多分又平の風流に倣ったのであろう。十二枚袋入がたった一朱であった。袋の文字は大河内侯の揮毫を当時の浅草区長の町田今輔が雕板したものだそうだ。慾も得もない書放しで、微塵も匠気がないのが好事の雅客に喜ばれて、浅草絵の名は忽ち好事家間に喧伝された。が、素人眼には下手で小汚なかったから、自然粗末に扱われて今日残ってるものは極めて稀である。




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