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隅田川・大川・隅田川の渡し - 「​大川の水」 芥川龍之介 1912(明治45)年1月

 ことにこの水の音をなつかしく聞くことのできるのは、渡し船の中であろう。自分の記憶に誤りがないならば、吾妻橋から新大橋までの間に、もとは五つの渡しがあった。その中で、駒形の渡し、富士見の渡し、安宅の渡しの三つは、しだいに一つずつ、いつとなくすたれて、今ではただ一の橋から浜町へ渡る渡しと、御蔵橋から須賀町へ渡る渡しとの二つが、昔のままに残っている。自分が子供の時に比べれば、河の流れも変わり、芦荻の茂った所々の砂洲も、跡かたなく埋められてしまったが、この二つの渡しだけは、同じような底の浅い舟に、同じような老人の船頭をのせて、岸の柳の葉のように青い河の水を、今も変わりなく日に幾度か横ぎっているのである。




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隅田川・大川・屋形船 - 「残されたる江戸」 柴田流星 1911(明治44)年5月

川びらきの夜に始まりて、大川筋の夕涼み、夏の隅田川はまた一しきり船と人に賑わうをつねとする。  疇昔は簾かかげた屋形船に御守殿姿具しての夕涼み、江上の清風と身辺の美女と、飛仙を挟んで悠遊した蘇子の逸楽を、グッと砕いて世話でいったも多く、柳橋から枕橋、更には水神の杜あたりまでも

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