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浅草にまつわる、

小説・随筆・詩・俳句

絵はがき

 この点では、私と山岸外史とは異るところがある。私、深山のお花畑、初雪の富士の霊峰。白砂に這《は》い、ひろがれる千本松原、または紅葉に見えかくれする清姫滝、そのような絵はがきよりも浅草仲店の絵はがきを好むのだ。人ごみ。喧噪《けんそう》。他生の縁あってここに集《つど》い、折も折、写真にうつされ、背負って生れた宿命にあやつられながら、しかも、おのれの運命開拓の手段を、あれこれと考えて歩いている。私には、この千に余る人々、誰ひとりをも笑うことが許されぬ。それぞれ、努めて居るにちがいないのだ。かれら一人一人の家屋。ちち、はは。妻と子供ら。私は一人一人の表情と骨格とをしらべて、二時間くらいの時を忘却する。

底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年6月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集第十巻」筑摩書房
   1977(昭和52)年2月25日初版第1刷発行
初出:はしがき、虚栄の市、敗北の歌、或る実験報告「日本浪曼派 第一巻第六号」
   1935(昭和10)年8月1日発行
   老年、難解、塵中の人、おのれの作品のよしあしをひとにたずねることに就いて「日本浪曼派 第一巻第七号」
   1935(昭和10)年10月1日発行
   書簡集、兵法、In a word、病躯の文章とそのハンデキャップに就いて「日本浪曼派 第一巻第八号」
   1935(昭和10)年11月1日発行
   「衰運」におくる言葉、ダス・ゲマイネに就いて、金銭について、放心について、世渡りの秘訣、緑雨、ふたたび書簡のこと「日本浪曼派 第一巻第九号」
   1935(昭和10)年12月1日発行
   わが儘という事、百花撩乱主義、ソロモン王と賤民、文章「東京日日新聞 第二一三二六号」
   1935(昭和10)年12月14日発行
   感謝の文学、審判、無間奈落、余談「東京日日新聞 第二一三二七号」
   1935(昭和10)年12月15日発行
   Alles Oder Nichts「葦 夏号」
   1950(昭和25)年8月10日発行
   葦の自戒、感想について、すらだにも、慈眼、重大のこと、敵「作品 第七巻第一号」
   1936(昭和11)年1月1日発行
   健康、K君、ポオズ、絵はがき、いつわりなき申告、乱麻を焼き切る、最後のスタンドプレイ「文芸通信 第四巻第一号」
   1936(昭和11)年1月1日発行
   冷酷ということについて、わがかなしみ、文章について、ふと思う、Y子、言葉の奇妙、まんざい、わが神話、最も日常茶飯事的なるもの、蟹について、わがダンディスム「文芸汎論 第六巻第一号」
   1936(昭和11)年1月1日発行
   「晩年」に就いて、気がかりということに就いて、宿題「文芸雑誌 第一巻第一号」
   1936(昭和11)年1月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本には「もの思う葦(その一)」「同(その二)」「同(その三)」と三部に分けて収録されていますが、このファイルでは一続きに編成しました。
※わが儘という事、百花撩乱主義、ソロモン王と賤民、文章の初出時の表題は「もの思う葦(上)」です。
※感謝の文学、審判、無間奈落、余談の初出時の表題は「もの思う葦(下)」です。
※Alles Oder Nichtsの初出時の表題は「もの思う葦—Alles Oder Nichts」です。
※「晩年」に就いて、気がかりということに就いて、宿題の初出時の表題は「もの思う葦」です。
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年3月21日作成
2016年7月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
 

浅草文庫 - 田中貢太郎 - 「貢太郎見聞録」

「貢太郎見聞録」

太宰治 1936(昭和11)年1月1日

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