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仲見世 - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日

 だが、「大増」のまえの榎の葉かげが足りなくなっても、絵草紙屋がすくなくなっても、豆屋が減っても、名所焼屋がふえても、「いせ勘」がさかえても、そうして、「高級観音灸効果試験所」の白い手術着の所員がここをせんどのいいたてをしても、大正琴屋のスポオツ刈の店員がわれとわが弾く「六段」に聞き惚れても、ブリキ細工の玩具屋のニッケルめっきの飛行機がいかにすさまじく店一ぱいを回転しても、そこには香の高いさくら湯のおもいでをさそうよろず漬物の店、死んだ妹のおもかげに立つ撥屋の店、もんじ焼の道具だの、せがんでたった一度飼ってもらった犬の首輪だのを買った金物屋の店……人形屋だの、珠数屋だの、唐辛子屋だの……そうしたむかしながらの店々がわたしのまえに、そのむかしながらの、深い淵のようなしずけさをみせてそれ/″\残っている。――が、それよりも……そうしたことよりもわたしは、仁王門のそばの「新煉瓦」のはずれの「成田山」の境内にいま読者を拉したいのである。




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