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伝法院・仲見世 - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日

 ……と、簡単にそういってしまえばそれだけである。が、片側「伝法院」の塀つづき、それに向いてならんだ店々だから、下駄屋、小間物屋、糸屋、あるへいを主とした菓子屋、みんな木影を帯び、時雨をふくんで、しずかにそれ/″\額をふせていた。額をふせて無言だった。――それには道の中ほどに、大きな榎あってたくましい枝を張り、暗くしっとりと日のいろを……空のいろをせいていた。――その下に古く易者が住んでいた。――いまの天ぷら屋「大黒屋」は出来たはじめは蕎麦屋だった。

 したがってそこへ出る露店もしずかにつつましい感じのものばかりだった。いろは字引だの三世相だのを並べた古本屋だの、煙草入の金具だの緒締だのをうる道具屋だの、いろ/\の定紋のうちぬきをぶら下げた型紙屋だの。――ときに手品の種明しや親孝行は針のめど通し……そうしたものがそれらの店のあいだに立交るだけだった。だから、それは、「仲見世」に属してそこと「公園」とを結びつける往来とよりも、離れて「伝法院」の裏通りと別個にそういったほうがより多くそこのもつ色彩にふさわしいものがあった。――と同時に「伝法院」の裏門がもとはああしたいかめしいものではなかった。いまの、もっと、向って右よりに、屋根もない、「通用門」といった感じのごくさびしい雑な感じのものだった。




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