top of page

凌雲閣(浅草十二階) - 「押絵と旅する男」 江戸川乱歩 1929(昭和4)年6月

更新日:2018年10月3日

 私は十二階へは、父親につれられて、一度昇った切りで、その後行ったことがありませんので、何だか気味が悪い様に思いましたが、兄が昇って行くものですから、仕方がないので、私も、一階位おくれて、あの薄暗い石の段々を昇って行きました。窓も大きくございませんし、煉瓦の壁が厚うござんすので、穴蔵の様に冷々と致しましてね。それに日清戦争の当時ですから、その頃は珍らしかった、戦争の油絵が、一方の壁にずっと懸け並べてあります。まるで狼みたいな、おっそろしい顔をして、吠えながら、突貫している日本兵や、剣つき鉄砲に脇腹をえぐられ、ふき出す血のりを両手で押さえて、顔や唇を紫色にしてもがいている支那兵や、ちょんぎられた辮髪の頭が、風船玉の様に空高く飛上っている所や、何とも云えない毒々しい、血みどろの油絵が、窓からの薄暗い光線で、テラテラと光っているのでございますよ。その間を、陰気な石の段々が、蝸牛の殻みたいに、上へ上へと際限もなく続いて居ります。本当に変てこれんな気持ちでしたよ。




最新記事

すべて表示

関東大震災・吉原遊郭(新吉原)・凌雲閣(浅草十二階) - 「生い立ちの記」 小山清 1954(昭和29)年10月1日

震災の当日、その時びっくりして戸外に飛び出した私の目に、八階から上が折れてなくなった、浅草公園の十二階の無慙な姿が映った。私の家は吉原遊廓のはずれにあって、家の前の広場からは、浅草公園の十二階がよく見えた。  その日、私の一家はみんなばらばらになった。私と花やという女中が上野

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page