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吉原遊郭(新吉原) - 「桜林」 小山清 1951(昭和26)年7月1日

  • 執筆者の写真: 浅草文庫
    浅草文庫
  • 2018年10月5日
  • 読了時間: 1分

 四月八日の花まつりにはお糸さんと一緒に竜泉寺町の大音寺に甘茶をもらいに行った。甘茶をもらいに行くのは私の役目で、まえの年にはなかやと一緒に行った。この年毎の灌仏会の行事は私の家などでも嘉例の一つになっていた。単に甘茶をもらってくるだけのことであったが、つい外すというわけにも行かなかったのは、以前貸座敷業を営んでいたときの縁起を祝う習慣が残っていたからであろう。

 吉原ではたいていの家が、わざわざ浅草の観音さままで出向かずに、近間の大音寺で間に合わせていたようである。もっともこの寺は三の輪の浄閑寺と同じく遊女の骨を埋めた処で、むかしから廓とは因縁浅からぬものがあったからでもあろう。「たけくらべ」に「大音寺前と名は仏くさけれど」とあるのがそれである。




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