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吉原遊郭(新吉原) - 「如何なる星の下に」 高見順 1939(昭和14)年1月-1940(昭和15)年3月

「朝野君、知ってるでしょう。お女郎さん相手の、郭のなかだけ回っている雑貨屋。はたきとか、お茶碗とか、部屋に飾る人形とか、そんなものを車にいっぱい陳列して廓に売りにくる。……それがちょうど、通りにとまっていた。うららかな暖かい陽を浴びて……」


 私は朝野に語っていた。酔いが、頭に浮んだことをすぐ口に出させたのだ。そしてまた酔いのため幾分感傷的な語調である。

「見ると、お女郎さんがその車を囲んで何か買っているんですね。何を買うのかしらと、僕は近づいてみた。近づいて見ると、――まだ化粧をしてないので、夜見ると綺麗なお女郎さんたちも黄色くむくんだ顔をしている。あの顔の色は、実にいやな色ですね。日に当らないせいか、それとも、……。いや。そんなことはどうでもいい。お女郎さんたちは車を囲みながら、日向ぼっこをしているんですよ。高いわね、まけないなどと雑貨屋のおじさんに言ったりして、なかなか買わない。察するところ、雑貨屋が来たというので、それを口実にして陽に当るために外に出たようで……。でも、そのうち一人が安い楊枝入れを買った。それを囲んで、日向ぼっこをしているのが他に数人いるわけで、そのうちの一人が店の方を振りむいて、何か言った。何か買わねえずらといった田舎弁。で、僕は何気なく店の方に眼をやると、――店の上り口の、ちょうどそこまで陽がさしこんでいるギリギリのところの板の間に、お女郎さんたちが鏡台を持ち出して髪を結っている。髪を結いながらでも、陽に当ろうというわけなんですね。陽ッてそんなものかと、陽のありがたさを初めて知らされた感じだった。そして眼を外にむけると、店の前に盆栽が並べてあるじゃないですか。一日中、陽の当らない家ン中に押し込められている盆栽。それを陽にあててやっている。盆栽は、ほんのひとときの喜びながら、じっと陽の恵みを楽しんでるといった恰好だった。僕は、その盆栽にお女郎さんを感じた。同時に、同じことだが、お女郎さんに哀れな盆栽を感じたですね。――以来僕は盆栽というものが嫌いになった。盆栽の趣味を枯淡とかなんとか言うのはうそですね。むごたらしいもんじゃないですか」





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