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吉原遊郭(新吉原) - 「残されたる江戸」 柴田流星 1911(明治44)年5月

 ――さて江戸芸者の濫觴は、宝暦年中、吉原の遊女扇屋歌扇というが、年あけ後に廓内で客の酒席に侍り、琴三味線を弾きもて酔興をたすけたに因みし、それより下っては明和安永の頃からである。当時の吉原細見に、「芸者何誰外へも出し申候」とあるのに見ても、それは明らかだ。

 但し、これまでの名称は踊子とて、これは寛文頃京坂に始まり、江戸では天和貞享の頃からで、その時までは白拍子、遊女などに酒興を幇けさしていたのを、やがてその踊子を用ゆるに至った、それがつまり女芸者の起りだ。




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