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吉原遊郭(新吉原) - 「生い立ちの記」 小山清 1954(昭和29)年10月1日

 東京に帰ってきてからも、しづやはしばらく私の家にいた。なかやという兄の子守もいたが、なかやはしづやよりも早く暇を取ったようである。兄と私はその頃根岸にあった幼稚園に通った。私の家から廓外へ出るには、検査場裏の裏門が近かったが、そこは昼間は締まっているので、私達は幼稚園へ通うのに、京町一丁目の番屋を抜けておはぐろ溝に架かった刎橋を渡って竜泉寺町へ出た。その頃は、廓の周囲をとりまいていたおはぐろ溝はまだ埋められていなかった。三島神社のある通りに出て、永藤という屋号のパン屋の横町だったかの狭い露地を通りぬけると、そこはもう根岸で幼稚園は鶯谷へ出る途中のやっちゃ場(青物市場)の近くにあった。しづやに附添われて行った。




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