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浅草広小路 - 「大東京繁盛記 下町篇 雷門以北」 久保田万太郎 1927(昭和2)年6月30日-7月16日

 ……広小路は、両側に、合せて六つの横町と二つの大きな露地とをもっている。本願寺のほうからかぞえて右のほうに、源水横町、これという名をもたない横町、大風呂横町、松田の横町、左のほうに、でんぼん横町、ちんやの横町。――二つの大きな露地とは「でんぼん横町」の手前のさがみやの露地と朝倉屋の露地とをさすのである。――即ち「さがみやの露地」は「源水横町」に、「浅倉屋の露地」は「名をもたない横町」に広い往還をへだててそれ/″\向い合っているのである。

 が、「源水横町」だの「名のない横町」だの、「大風呂横町」だの「松田の横町」だの「でんぼん横町」だの、それらはすべてわたしの子供の時分には……すくなくともまだわたしの田原町にいた時分にはだれもそう呼んでいたのである。――嘗てそこに松井源水が住んでいたというのをもって源水横町、その横町が「大風呂」という浴場をもっていたのをもって大風呂横町、その右かどに料理店の「松田」をもっていたのをもって松田の横町(それはまたその左かどに牛肉屋の「いろは」をもっていた理由でいろはの横町とも呼ばれた)――で、「でんぼん横町」とは「伝法院横町」の謂、「ちんやの横町」とは文字通りちんやの横町の謂である。そういえば誰でも知っている大衆的の牛肉屋「ちんや」の横町である。――由来はいたって簡短である。


 このうちいま残っているのは「ちんやの横町」だけである。「ちんやの横町」という称呼だけである。




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