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浅草広小路・屋台・夜店 - 「残されたる江戸」 柴田流星 1911(明治44)年5月

 縁日趣味、露店趣味は江戸ッ児にして初めてこれを完全に解し得るもの。月の三十日が間、唯の一日都大路の何処にも縁日がないという晩はなく、苟も天気模様さえよければ、からッ風の吹く寒い夜でも、植木屋が出て、飴屋が出て、玩具屋が出て、そして金物屋、小間物屋、絵草紙屋、煎豆屋、おでん屋、毛革屋、帽子襟巻手袋屋、金花糖屋、更に夏なれば虫屋、風鈴屋、簾屋、茣蓙屋、氷屋、甘酒やなど、路の両側に櫛比して店を拡げ、区劃を限って車止めの立札の植てられる頃より、人出は夜と共に弥増しに増して、競り屋の男は冬でもシャツ一枚の片肌脱ぎ、「さッこれいくら……」と吾れから値を促し問うて、良時は悪口の言いあい、江戸ッ児はこんなことが面白くてただ他愛もなく、「五銭――十銭――二十銭――しょんべん――」なぞと混ぜかえせば、「貧乏人は黙ってすッこんでろ!」と今にも喧嘩が始まりそう。こんなことで夜の十一時頃までにかなりの商いしてのけるとは存外なものだ。

 露店趣味は縁日の以外にもこれを捜ぬるを得べく、上野、浅草の広小路、銀座南北の大通りを東側の人道なぞ、ここには一年三百六十五日、雨の日と風の強い日をさえ除けば、大方の縁日の二つがけ三つがけの出店、殊に夏の涼み時と冬の師走月とは客足も繁くして、露店の数も多きを加え、耳を病みて詰薬した爺さん、眼をわずらって黒眼鏡かけた中年増、若い神さんらしいのもあれば、小狡しい中僧もおる。




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