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淡島堂 - 「東京市騒擾中の釣」 石井研堂 1906(明治39)年12月

 たとひ自らは、竿を執らざるにせよ、快き気もせざれば、間もなく此処を去りしが、観音堂手前に到りて、亦一の狼籍たる様を目撃せり。即ち、淡島さま前なる小池は、田圃に於ける掻堀同様、泥まみれの老若入り乱れてこね廻し居けり。されば、常に、水の面、石の上に、群を成して遊べる放生の石亀は、絶えて其の影だに無く、今争ひ捜せる人々も、目的は石亀に在りしや明なりし。中には、「捕ても構えねいだが、捕りたくも亀は居ねいのだ」など高笑ひの声も聴ゆ。



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淡島堂・江崎写真館 - 「鴎外の思い出」 小金井喜美子 1955(昭和30)年10月

お堂の左手に淡島様があります。小さな池に石橋が掛っていて、それを渡る時には、池の岩の上にいつも亀が甲を干していました。お堂の中には、小指の先ほどの括り猿や、千代紙で折った、これも小さな折鶴を繋いだのが、幾つともなく天井から下っています。何を願うのでしょうか。  淡島様の裏の方

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