top of page

火事・大火 - 「三筋町界隈」 斎藤茂吉 1937(昭和12)年1月

 そのころ東京には火事がしばしばあって、今のように蒸気ポンプの音を聞いて火事を想像するのとは違い、三つ番でも鳴るときなどは、家のまえを走ってゆく群衆の数だけでもたいしたものであった。

 私は東京に来たては、毎晩のように屋根のうえに上って鎮火の鐘の鳴るまで火事を見ていたものである。寝てしまった後でも起き起きして物干台から瓦を伝わり其処の屋根瓦にかじりついて、冬の夜などにはぶるぶる震えながら見ていたものである。東京の火事は毎晩のように目前に異様の世界を現出せしめてくれるからであった。

 そういう具合にして私は吉原の大火も、本郷の大火も見た。吉原には大きい火事が数回あったので、その時から殆ど四十年を過ぎようとしている今日でも、紅い火焔と、天を焦がして一方へ靡いて行く煙とを目前におもい浮べることが出来るほどである。時には書生や代診や女中なども交って見ている。「あ、今度はあっちへ移った」などというと、物のくずれる時のような音響が伝わってくる。同時に人の叫びごえが何か重苦しいもののように聞こえてくる。そのうち火勢が段々衰えて来て、たちのぼる煙の範囲も狭くなるころ、「もうおしまいだ」などといって書生らは屋根から降りて行っても私はしまいまで降りずにいたものである。こういう光景は、私の子どもらはもう知ることが出来ない。





最新記事

すべて表示

火事・大火・関東大震災・吉原遊郭(新吉原) - 「桜林」 小山清 1951(昭和26)年7月1日

聞くところによると、明治四十三年の夏の水害と翌年春の大火とは、吉原とその界隈の町の有様を一変させたと云うが、私はちょうどその大火のあった年の秋に生れた。物心がついてまもなくあの大震災があった。震災は私たち東京人の生活に一時期を画したが、私としても自分の少年の日は震災と共に失われ

Kommentare


Die Kommentarfunktion wurde abgeschaltet.
bottom of page