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火事・大火・雷門 - 「幕末維新懐古談 浅草の大火のはなし」 高村光雲 1929(昭和4)年1月

 火勢はさらに猛烈になって、とうとう雷門へ押し掛けて行きました。

 広小路から雷門際までは荷物の山で重なっているのですが、それが焼け焼けして雷門へ切迫する。荷物は雷門の床店の屋根と同じ高さになって累々としている所へ、煽りに煽る火の手は雷門を渦の中へ巻き込んでとうとう落城させてしまいました。それで雷門から蔵前の取っ付きまで綺麗に焼き払ってしまった上、さらに花川戸から馬道に延焼し、芝居町まで焼け込んで行きました。三座は確か類焼の難はのがれたように思いますが、何しろ、吾妻橋際から大河の河岸まで焼け抜けてしまったのですからいかに火勢が猛威を振ったかは推し測られます。それに、大河を越えて、本所の吉岡町へ飛火をして向う河岸で高見の見物をしていた人の胆までも奪ったとは、随分念の入った火事でありました。


 名代の雷門はこれで焼け落ちましたが、誰か殊勝な人があったと見え、風雷神の身体は持ち出すことは出来なかったが、御首だけは持って逃げました。それが只今、観音堂の背後の念仏堂に確か飾ってあると思います。これはその後になって、門跡前の塩川運玉という仏師が身体を造って修理したのであります。





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