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浅草にまつわる、

小説・随筆・詩・俳句

「我楽多玩具」

岡本綺堂 1919(大正8)年1月

 私は玩具《おもちゃ》が好《すき》です、幾歳《いくつ》になっても稚気《ちき》を脱しない故《せい》かも知れませんが、今でも玩具屋の前を真直《まっすぐ》には通り切れません、ともかくも立停って一目《ひとめ》ずらり[#「ずらり」に傍点]と見渡さなければ気が済まない位です。しかしかの清水晴風さんなどのように、秩序的にそれを研究しようなどと思ったことは一度もありません。ただぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と眺めていればいいんです。玩具に向う時はいつもの小児《こども》の心です。むずかしい理窟なぞを考えたくありません。随って歴史的の古い玩具や、色々の新案を加えた贅《ぜい》な玩具などは、私としてはさのみ懐しいものではありません。何処《どこ》の店の隅にも転がっているような一山百文《ひゃくもん》式の我楽多玩具、それが私には甚《ひど》く嬉しいんです。


 私の少年時代の玩具といえば、春は紙鳶《たこ》、これにも菅糸《すがいと》で揚《あ》げる奴凧《やっこたこ》がありましたが、今は廃《すた》れました。それから獅子、それから黄螺《ばい》。夏は水鉄砲と水出し、取分けて蛙の水出しなどは甚《ひど》く行われたものでした。秋は独楽《こま》、鉄銅《かねどう》の独楽にはなかなか高価《たか》いのがあって、その頃でも十五銭二十銭ぐらいのは珍らしくありませんでした。冬は鳶口《とびぐち》や纏《まとい》、これはやはり火事から縁を引いたものでしょう。四季を通じて行われたものは仮面《めん》です。今でもないことはありませんが、何処の玩具屋にも色々の面を売っていました。仮面《めん》には張子と土と木彫の三種あって、張子は一銭、土製は二銭八厘、木彫は五銭と決っていましたが、木彫はなかなか精巧に出来ていて、槃若《はんにゃ》の仮面《めん》などは凄い位でした。私たちは狐や外道《げどう》の仮面《めん》をかぶって往来をうろうろ[#「うろうろ」に傍点]していたものです。そのほかには武器に関する玩具が多く、弓、長刀《なぎなた》、刀、鉄砲、兜、軍配《ぐんばい》団扇《うちわ》のたぐいが勢力を占めていました。私は九歳《ここのつ》の時に浅草の仲見世で諏訪法性《すわほっしょう》の兜を買ってもらいましたが、錣《しころ》の毛は白い麻で作られて、私がそれをかぶると背後《うしろ》に垂れた長い毛は地面に引摺《ひきず》る位で、外へ出ると犬が啣《くわ》えるので困りました。兜の鉢はすべて張子でした。概して玩具に、鉄葉《ブリキ》を用いることなく、すべて張子か土か木ですから、玩具の毀《こわ》れ易《やす》いこと不思議でした。槍や刀も木で作られていますから、少し打合うとすぐに折れます。竹で作ったのは下等品《かとうひん》としてあまり好まれませんでした。小さい者の玩具としては、犬張子、木兎《みみずく》、達摩《だるま》、鳩のたぐい、一々数え切れません、いずれも張子でした。


 方々の縁日には玩具店《おもちゃや》が沢山出ていました。廉《やす》いのは択取《よりど》り百文、高いのは二銭八厘。なぜこの八厘という端銭《よせん》を附けるのか知りませんが、二銭五厘や三銭というのは決してありませんでした。天保銭《てんぽうせん》がまだ通用していた故《ゆえ》かも知れません。うす暗いカンテラの灯の前に立って、その縁日玩具をうろうろ[#「うろうろ」に傍点]と猟《あさ》っていた少年時代を思い出すと、涙ぐましいほどに懐しく思われます。


 私の玩具道楽、しかも我楽多玩具に趣味を有《も》っているのは、少年時代の昔を懐しむ心、それがどうも根本になっているようです。私が玩具屋の前に立った時、先《ま》ず眼につくのは旧式の我楽多玩具で、何だか昔の友に出逢ったような心持になります。実用新案の螺旋仕掛《ねじじかけ》などには何の懐しみを有つことが出来ません。随って小児にまでも頭脳《あたま》が古いと侮《あなど》られますが、どうもこれは趣味の問題ですから已《や》むを得ません。旧式の張子の仮面《めん》などを手に把《と》ってじっ[#「じっ」に傍点]と眺めていると、ひどく若々しい心持になる時と、何とはなしに悲しくなる時と、その折々に因《よ》って気分の相違はありますけれども、いずれにしても、その玩具を通して少年時代の夢を忍ぶことは、私に取っては嬉しいことです、堪《たま》らないほどに懐しいことです。大人でないと笑われても、私はこの年になるまで、我楽多玩具と別れを告げることは出来ません。この頃は少しばかり人形を貰い集めていますけれど、これは道楽の余業で、ほんとうの道楽は一山百文式の我楽多玩具にあること勿論です。しかし時代の変遷で、その我楽多もだんだんに減って来るので困ります。大師《だいし》の達摩《だるま》、雑司《ぞうし》ヶ谷《や》の薄《すすき》の木兎《みみずく》、亀戸《かめいど》の浮人形《うきにんぎょう》、柴又の括《くく》り猿《ざる》のたぐい、皆《みん》な私の見逃されないものです。買って来てどうするという訳《わけ》のものではありませんが、見るとどうも手が出したくなります。電車の中などでも薄の木兎などを担《かつ》いでいる人を見ると、何だか懐しくなって、声をかけてみたいように思うこともあります。


 こういう意味ですから、私の道楽はその後何年経《た》っても進歩するはずはありません。根が研究的から出発しているのでありませんから、いわゆる「通」になるべきはずはありません。しかし我楽多玩具に対する私の趣味は、年を取るに随ってますます深くなるだろうと思っています。

 

底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年10月16日第1刷発行
   2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「新小説」
   1919(大正8)年1月号
初出:「新小説」
   1919(大正8)年1月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
 

浅草文庫 - 岡本綺堂 - 「我楽多玩具」

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