浅草にまつわる、
小説・随筆・詩・俳句。
「浅草哀歌」
北原白秋 1916(大正5)年7月
1
われは思ふ、浅草の青き夜景を、
仲見世の裏に洩るる短夜の葱のむせびを、
公園の便所の瓦斯を、はた、澄めるアルボースの香を。
あはれなる蛇小屋の畸形児を、かつは知れりや、
怪しげの二階より寥《さみ》しらに顔いだす玉乗の若き女を、
あるはまた曲馬の場《には》に息喘ぎ、うちならぶ馬のつかれを。
新しきペンキに沁みる薄暮《くれがた》の空の青さよ。
また臭き花屋敷の側に腐れつつ暗《くら》みゆく溝の青さは
夜もふけて銘酒屋の硝子うち覗くかなしき男のみや知りぬらん。
われは思ふ、かかる夜景に漂浪《さすら》へる者のうれひを、
馬肉屋の※[#「窗/心」、第3水準1-89-54]にうつる広告の幻燈を見て蓄音機きけるやからを、
かくてまた堂のうしろに病める者、尺八の追分ふし。
2
さは思へ、さは思へ、一時《ひととき》ののち……
五時過ぎの夕日黄色く、溝板《どぶいた》に、髪床の硝子障子に、
料理屋の軒の点《とも》らぬ角燈に、露台《バルコン》の青くさき芥子のにほひに、
照りあかり、羽虫ぞ舞へる、
甘げなる線の粘《ねば》りのうちもつれやはらかに交《つが》へるかれら。
さは思へ、さは思へ、一時《ひととき》ののち………
ここにかの三味線弾きの下司女《げすをんな》寒げに坐り、
破《やれ》むしろ籍きたる上に、
かの暗き魚燈のけぶり頬にうけて、
はらは髪賤民の児ぞ調子をかしきかつぽれ[#「かつぽれ」に傍点]を頼りなげにも踊るらむ。
さあれいま羽虫ぞ舞へる。
公園のけふのひと日を立ちつくす男の手より、
かすり絵板はひるがへり、黄なる日に暫しかがやく。
3
わが友よ、わがわかき羅曼底の友よ、
日は暮れて薔薇いろの光《かげ》薄《うす》き弧燈のしめり、
水の面《も》と空気とにしみじみとにほひいでたる。
そを見つつ暮れてゆくよるべなきわれのねたみよ。
君もまた思ひ知りしや、あはれ夜《よ》のクラリオネツト、
うち囃す銀のうれひはそことなく楽しけれども、
——いかにせむ、髪の毛すぢに沁み入りて幽かにも顫ふ香料。
4
奥山の四時過ぎの日こそさみしけれ。
あたたかにうち黄ばむ写真屋の古きならびは、
半盲目の病児らの日向ぼこをば見るごとく、
掲げたる鈍き写真のうちにくはせ者の女役者の顔のみ白く、
罎《びん》ならぶ※[#「窗/心」、第3水準1-89-54]のそば、露台《バルコン》にダアリヤの花ただひとつ赤けれども、
なべてみな色もなし、入口の静かなる空椅子のうへに、
みよりなき黒猫ぞひとりまた背を高めたる。
見るものの凡てみな『過ぎし日』のごとくさびしく、
疎《うと》ましき『忘却』の腐蝕よりのこされしものの痛さよ。
げに、白き横文字はその屋根に、いかがはしけれ、
The Art Photograph とぞ読まれぬる。
底本:「白秋全集 3」岩波書店
1985(昭和60)年5月7日発行
底本の親本:「白秋全集 第二巻 詩集第二」アルス
1929(昭和4)年12月10日
※本作品は底本の親本の「雪と花火」の「東京夜曲」に収められています。
入力:岡村和彦
校正:フクポー
2017年2月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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