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浅草にまつわる、

小説・随筆・詩・俳句

「明日は天気になれ」

坂口安吾 1953(昭和28)年1月2日-4月13日

一部抜粋

バカの仕放題

 昨夕フラリと浅草へ遊びに行った。ちょうど一年目だ。自然、淀橋太郎とか森川信というような浅草生えぬきの旧友と飲み屋で顔が合う。話は自然に余人の旧悪に及ばず、主として拙者の旧悪のみが酒の肴となるのは不徳の致すところであろう。


 なるほど人にいわれてみると、私はバカの仕放題をしてきたようである。その一端を御披露に及び、諸賢の興を添え、あるいは興をさますのも、バカの務めの一ツかも知れない。それは九州に多少の縁がある話でもある。

 

 それは戦局不利に傾きつつある大晦日のことであったが、私は徹宵泥酔に及んで某女優に数時間にわたって結婚の儀を申し入れて叱られるような賑やかな出来事があって、そのアゲクに塚本のデブチャンという非常に義侠心に富み、働けど働けど女房に軽蔑され、また常に失恋しつつある人物にいたく同情をかい、彼の無尽蔵の悪酒をジャンジャン提供されて元日を迎えたのである。

 元日も朝から晩まで飲んだアゲク、この義侠心に富むデブチャンとつれだち、かの大根女優が主役をつとめている国際劇場へ、大いに彼女の美徳をたたえ、声援を送りに、一升ビンをぶらさげ、デブチャンの自転車に相乗りしてでかけたのである。このデブチャンは泥酔すると人や大荷物をつみあげて自転車を運転してみせる悪癖があり、また奇妙に運転がタシカであった。

 

 淀橋太郎の説によると、私は上衣をぬぎ、ワイシャツ姿で舞台後方に現れ、
「ウマイ、ウマイ」
 といって、三十分間ほど休みなく拍手を送って大根女優を声援し、益々彼女の軽蔑を買い、劇場をなやませて疲れを見せなかったそうであるが、どういうワケだか私にも分らないが、ダンシングチームの楽屋を訪れ、
「諸嬢の芸は未熟である」
 と訓辞をたれ、次にはるか舞台天井の鉄筋の上へあがってしまった。


 そこで私は気がついて、さてはここで落命致すかと泥酔しながらも心細い思いをしたが、妙に楽々と元へもどることができた。
 そのときは無事であったが、すぐそのあとで燈火管制の道を歩いて、防空壕へ落ちてケガをし、一チョウラの洋服のズボンの膝を半分の余もさいてしまった。

 

 こうして仁侠に富むデブチャンにだけは益々見放されることがなく、非常に彼を憎みまた軽蔑している女房のもとへ悪酒を盗みに忍ぶようなことをして三が日をともに祝った。

 

 ところがこのデブチャンは天下に稀れな働き者で、二日の早朝にはもうちょっと座を立って浦安から小魚や貝を仕入れてきて、半分は愛人に与え、半分は夕方ちょっと座を立って商いをしてモウケてくる。
 しかも女房と愛人に徹底的に軽蔑されていたのである。

 

 こうして新年の三日間デブチャンの悪酒のフルマイをうけて半死半生となった私は、たしか四日朝、九州の炭坑へ石炭増産週間の一役をかって、膝のさけたズボンをはいて関門トンネルをくぐった。

酒の飲み方

 昔はどこの酒屋でもコップ酒というものを飲ませたが、近ごろは見かけない。酒の統制以来、小売店と飲食店の区別が厳重になって法規で取締られているのかも知れないが、馬方なぞが車をチョイととめて、キューッと一パイひッかけてまた歩きだす風景はわるくないものである。


 コップ酒専門で天下に名高いのは新橋の三河屋だ。電気ブランの浅草のヤマニバーとともに、財布の軽い呑んべいには有りがたい存在で、私もずいぶんお世話になった。

 

 コップ酒には昔から定まった飲み方がある。皿にコップをのせて酒をつぐ。ナミナミと溢れて皿にも一パイになるように酒をつぐ。これがコップ洒の一パイである。飲み助はまずコップの酒をキューと半分ほどのみ、皿の酒をコップへうつして改めてコップ一パイの酒を味う段どりとなる。
 ところが、コップ酒には「半分」という飲み方がある。
「半分おくれ」
「ヘーイ」
 と云ってチョッキリ一パイ持ってきてくれる。その代り皿にこぼれていない。けれども、この「半分」を二度飲む方が一度「一パイ」を飲むより量が多い。つまり半分を二度ならコップにチョッキリ二ハイのめるが、一パイだとコップの一パイと皿の半バイで一パイ半しかのめない。

 

 そこでコップ酒というものは「半分」をたのむのが有利と定まっているが、初心者は云いにくいものであるし、常連になっても見栄があって気軽には頼めないウラミがある。

 

 ここの心理をうまく捉えて当てたのが新橋の三河屋である。この店には「一パイ」という酒の売り方がないのである。客がたのまなくとも「半分」しか売らない。つまり、はじめから半分の値でコップ一パイナミナミとうる。これを定法としたのである。

 

 財布の軽い飲み助にとっては、これだけでも大そうな魅力で、五十銭銀貨一枚握って存分に飲めたものである。イカの塩カラを山盛りにした大ドンブリが各テーブルに備えてあって、客は立ったままコップを握り勝手に塩カラをつまんでのむ。

 

 茨城県の利根川べり、取手《とりで》界隈ではこの居酒屋のコップ酒を「トンパチ」という。この辺では昔からの通称らしい。トンパチは「当八」の意だと土地の連中は云っている。

 

 つまり一升を一合ずつ売れば十パイになるのが当り前だが、オマケをつけて盛りをよくするから一升を八パイで売ってしまう。一升が八パイ当りで盛りがよいから当八だというのである。

 

 村の飲み助どもは
「トンパチやんべい」
 といって居酒屋へ集ってくる。たいがいの人は酔うと仕事の上の自慢話をして酒をのむものであるが、農夫たちはオレの畑のナスは日本一のナスだぞ、というような話は決してしない。
「ナンダ、吉田の政治は。オレを総理大臣にしてみろ。なア、そうだろう」
 なぞと気焔をあげるのが普通である。

底本:「坂口安吾全集 13」筑摩書房
   1999(平成11)年2月20日初版第1刷発行
底本の親本:「西日本新聞 第二四九四六号〜第二五〇四六号」
   1953(昭和28)年1月2日〜4月13日
初出:「西日本新聞 第二四九四六号〜第二五〇四六号」
   1953(昭和28)年1月2日〜4月13日
入力:tatsuki
校正:成宮佐知子
2013年6月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

浅草文庫 - 坂口安吾 - 「明日は天気になれ」

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