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伝法院 - 「淡島椿岳 --過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド--」 内田魯庵 1916(大正5)年3月

  • 執筆者の写真: 浅草文庫
    浅草文庫
  • 2018年9月23日
  • 読了時間: 1分

 椿岳の浅草生活は維新後から明治十二、三年頃までであった。この時代が椿岳の最も奇を吐いた盛りであった。  伊藤八兵衛と手を分ったのは維新早々であったが、その頃は伊藤もまだ盛んであったから椿岳の財嚢もまたかなり豊からしかった。浅草の伝法院へ度々融通したのが縁となって、その頃の伝法院の住職唯我教信と懇ろにした。この教信は好事の癖ある風流人であったから、椿岳と意気投合して隔てぬ中の友となり、日夕往来して数寄の遊びを侶にした。




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