「これから仲見世だ、何でも買って遣るよ」とおっしゃるけれど、私はむっつりしていました。お母様と一緒だったのなら、きっと泣いたでしょう。何ということなしに窮屈なのです。大事なお兄様が優しくして下さるのに、偏屈な性質だから仕方がありません。
「何が欲しい」といわれても返事が出来ません。何もいらない、といいたいのを我慢していました。それでも仲見世にはいろいろ並んでいるのですから、ちょいちょい立止ります。
「簪かい、玩具かい」と、足を止められますので、入らないといっては悪いと気が附いて、小さなお茶道具を一揃い買ってもらいました。
「もっと何か」とおっしゃいます。
「また何か私の読める本でも買っていただきましょう。」
「うん、それもよかろう。今度は皆のお土産だ。」
雷おこしや紅梅焼の大きな包が出来ました。
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