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浅草にまつわる、

小説・随筆・詩・俳句

 が、私は型に適っているかどうかは、知らなかったが、染之助の三浦之介は、如何にも傷ついた若い勇士が、可愛い妻と、君への義理との板ばさみになっている、苦しい胸の中を、マザマザと舞台に現しているようで、遠い昔の勇士が私の兄か何かのように懐しく思われたのでした。それ以来、私は毎日のように守田座へ行きたくなったのです。それで浅草へお参りに行くと云っては、何も知らない頑是のない綾ちゃん達のお母さんを、連れて守田座へ行ったものです。それも一日通しては見ていられないから、八つ刻から――そう今の二時頃ですが、染之助の出る一幕二幕かを見に行ったのです。終には子供を召使いに預けて、自分一人で毎日のように出かけて行くようになりました。

 刑場からの帰途、春泰と良円とは、一足遅れたため、良沢と玄適と淳庵、玄白の四人連であった。四人は同じ感激に浸っていた。それは、玄妙不思議なオランダの医術に対する賛嘆の心であった。

 刑場から六、七町の間、皆は黙々として銘々自分自身の感激に浸っていたが、浅草田圃に差しかかると、淳庵が感に堪えたようにいった。 「今日の実験、ただただ驚き入るのほかはないことでござる。かほどのことを、これまで心づかずに打ち過したかと思えば、この上もなき恥辱に存ずる。われわれ医をもって主君主君に仕えるものが、その術の基本とも申すべき人体の真形をも心得ず、今日まで一日一日とその業を務め申したかと思えば、面目もないことでござる。何とぞ、今日の実験に基づき、おおよそにも身体の真理をわきまえて医をいたせば、医をもって天地間に身を立つる申しわけにもなることでござる」

 良沢も玄白も玄適も、淳庵の述懐に同感せずにはおられなかった。

菊池寛

1888(明治21)年12月26日-1948(昭和23)年3月6日

小説家、劇作家、ジャーナリスト

菊池寛|浅草文庫
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