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浅草にまつわる、

小説・随筆・詩・俳句

 竹屋の渡場は牛の御前祠の下流一町ばかりのところより今戸に渡る渡場にして、吾妻橋より上流の渡船場中最もよく人の知れるところなり。船に乗りて渡ること半途にして眼を放てば、晴れたる日は川上遠く筑波を望むべく、右に長堤を見て、左に橋場今戸より待乳山を見るべし。もしそれ秋の夕なんど天の一方に富士を見る時は、まことにこの渡の風景一刻千金ともいひつべく、画人等の動もすればこの渡を画題とするも無理ならずと思はる。

 大川も吾妻橋の上流は、春の夜なぞは実によろしい。しかし花があり月があっても、夜景を称する遊船などは無いではないが余り多くない。屋根船屋形船は宵の中のもので、しかも左様いう船でも仕立てようという人は春でも秋でも花でも月でもかまうことは無い、酒だ妓だ花牌だ※[#「虍/丘」、第3水準1-91-45]栄だと魂を使われて居る手合が多いのだから、大川の夜景などを賞しそうにも無い訳だ。まして川霧の下を筏の火が淡く燃えながら行く夜明方の空に、杜鵑が満川の詩思を叫んで去るという清絶爽絶の趣を賞することをやだ。 

幸田露伴

1867(慶應3)年8月22日/7月23日-1947(昭和22)年7月30日

小説家

幸田露伴|浅草文庫
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