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浅草にまつわる、

小説・随筆・詩・俳句

 「パン」の会の流れから、ある晩吉原へしけ込んだことがある。素見して河内楼までゆくと、お職の三番目あたりに迚も素晴らしいのが元禄髷に結っていた。元禄髷というのは一種いうべからざる懐古的情趣があって、いわば一目惚れというやつでしょう。参ったから、懐ろからスケッチブックを取り出して素描して帰ったのだが、翌朝考えてもその面影が忘れられないというわけ。よし、あの妓をモデルにして一枚描こうと、絵具箱を肩にして真昼間出かけた。ところが昼間は髪を元禄に結っていないし、髪かたちが変ると顔の見わけが丸でつかない。いささか幻滅の悲哀を感じながら、已むを得ず昨夜のスケッチを牛太郎に見せると、まあ、若太夫さんでしょう、ということになった。

 美術学校を出る頃、私の拵えたものは変に観念的なもので、坊さんが普段の姿で月を見ているところとか、浮彫で浴衣が釘に掛ってブラ下っていてそれが一種の妖気を帯びているという鏡花の小説みたいなものを拵えたつもりで喜んでいた。それから浅草の玉乗などを拵えた。玉乗の女の子が結えられて泣いているのを兄さん位の男の子が庇っているところである。その頃朝早く見物人の入らない先に花屋敷に入れて貰って虎の写生を続けていたが、その道で六区を通り抜けると、十二階下の所で玉乗の稽古をしている。それが実に厳しく、それを見てそんなものを拵えたのだが、それを学校の彫塑会という展覧会に出したら、岩村透さんや白井雨山さんが目をつけて評判になった。その頃は、何かそう言った風な文学的な意図のものでなければ承知出来なかった。

高村光太郎

1883(明治16)年3月13日-1956(昭和31)年4月2日

詩人、歌人、彫刻家、画家

高村光太郎|浅草文庫
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