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浅草を語る、ことば。

浅草を語る、ことば。

関東大震災・仲見世 - 「棺桶の花嫁」 海野十三 1937(昭和12)年1-3月

二人は吾妻橋を渡って、浅草公園の中に入っていった。仲見世はすっかり焼け落ちて、灰かきもまだ進まず、殆んど全部がそのままになっていた。ただ道傍や空地には、カンテラや小暗い蝋燭を点して露店が出ていた。芋を売る店、焼けた缶詰を山のように積んでいる店、西瓜を十個ほど並べて、それを輪切り

吾妻橋・関東大震災 - 「棺桶の花嫁」 海野十三 1937(昭和12)年1-3月

所は焼け落ちた吾妻橋の上だった。  まるで轢死人の両断した胴中の切れ目と切れ目の間を臓腑がねじれ会いながら橋渡しをしているとでもいいたいほど不様な橋の有様だった。十三日目を迎えたけれど、この不様な有様にはさして変りもなく、只その橋桁の上に狭い板が二本ずっと渡してあって、その上を

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