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浅草を語る、ことば。

浅草を語る、ことば。

隅田川の渡し - 「鴎外の思い出」 小金井喜美子 1955(昭和30)年10月

毎日急ぎ足で学校へ通う道をぶらぶら歩いて、牛の御前の前を通り、常夜灯のある坂から土手へ上り、土手を下りて川縁へ出ると渡し場です。ちょうど船の出るところでした。 私は真中にある仕切りに腰を下します。乗合はそんなにありません。兄様は離れたところに立っていられます。中流に出ますと...

「浅草とは?」 - 「鴎外の思い出」 小金井喜美子 1955(昭和30)年10月

向島に住んだ頃は、浅草へ行くというのが何よりの楽しみでしたけれど、歩いて行く時は、水戸様の前から吾妻橋を渡って、馬道を通って観音様の境内へ入るので、かなりの道なのです。でなければ渡しを渡って花川戸へ出て、待乳山を越して、横手から観音様へ這入ります。母や祖母と出ると時間もかかりま

浅草名産・銘菓 - 「鴎外の思い出」 小金井喜美子 1955(昭和30)年10月

握飯はいつも二つでした。一つには玉子を、今一つにはめそを入れます。めそのことは人があまり知らずに、小魚などといいますが、鰻のごく細いのです。それは肴屋でなくて、八百屋が持って来ました。開いて串に刺して、白焼にしてあるのを辛味に煮て入れますが、いつまでも飽いたといわれませんのは、

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